元大阪市長の大島靖氏が死去、95歳 [大阪市]
元大阪市長の大島 靖(おおしま やすし)氏が、2010年8月7日(土)に東京都内の病院で急性脳梗塞で亡くなられた。
95歳だった。
喪主は長男の春行(はるゆき)さんで、葬儀は8日(日)に近親者のみで済まされたそうだ。
自宅は非公表。
大島氏は1915年(大正4年)1月30日生まれで、和歌山県田辺市出身。
東京帝国大学法学部(現在の東京大学法学部)を卒業し、1939年(昭和14年)に内務省(1947年末に廃止)に入省。
その後、大阪府労働部長(1949年) → 在ジュネーヴ総領事(1954年) → 労働省審議官(1959年) → 労働省労働基準局長(1960年)と、あらゆる職務を経験。
1963年(昭和38年)に、当時の中馬 馨(ちゅうま かおる)大阪市長の助役(現在は副市長)として大阪市役所に入庁。
しかし1971年(昭和46年)11月8日、中馬市長が3期目在職中に病死。
それに伴って大阪市長選挙が実施されることになった。
大島氏はこの選挙に立候補。
投票は1971年12月19日(日)に行われ、全国初の日本社会党・公明党・民社党3党の相乗り選挙となり、大島氏は45万8715票を獲得。
2位の候補(橋本 敦氏の22万9959票)に2倍近くの差をつけ、自民党推薦候補を破って初当選を果たした。
1971年12月20日に第14代(公職選挙制度以降としては第4代)大阪市長に正式に就任した。
その後、3度の大阪市長選挙に出馬し、自民党からの推薦も受けるようになり3選。
5期目には出馬せず、当時助役だった西尾 正也(にしお まさや)氏(故人)を次期市長に指名した上で(大阪市では長年にわたって、まるで恒例行事のように現役市長が退任前に次期市長を指名するという後継者指名が行われていた。市長の助役として活躍していた人が次期市長に指名されるという体制だった。中之島一族と揶揄されることも。)、1987年(昭和62年)12月18日に任期満了で市長を退任した。
大島氏の市長在任期間は、1971年12月20日~1987年12月18日までの4期16年。
これは2010年現在、官選時代(大阪市長は第10代の中井 光次氏まで市民による投票ではなく、大阪市議会で選出されていた)を含めても歴代大阪市長で最長である。
大島氏の市長在任期間中はあらゆる動きがあった。
敬老優待乗車証の交付開始・区の分区による26区制・相次ぐ地下街の開業(なんばウォークなど)・大阪駅前ビルの開業・南港ポートタウン(大阪湾岸部で埋め立てによる人工島開発を進め、咲洲・夢洲・舞洲を作る)のまちびらき・大阪市立東洋陶磁美術館の開業・大阪城ホールの完成・インテックス大阪の完成・大阪市役所庁舎の建て替え(現在の庁舎が竣工)・天王寺博覧会の開催・大阪国際交流センターの開業・鶴見緑地にて国際花と緑の博覧会の誘致・地下鉄長堀鶴見緑地線の建設など。
一方で、2010年に経営破綻によって大阪府に売却された「大阪ワールドトレードセンタービルディング」(WTC)の建設推進や、多額の赤字を出しながらも咲洲・夢洲・舞洲といった人工島に多額の資金を注ぎ込んだこと、近年では高齢者の増加で大阪市財政圧迫の原因の一つとなっている敬老優待乗車証の交付、需要が思うように伸びない地下鉄長堀鶴見緑地線の建設推進など、大島氏の政策が「大阪市の負の遺産」の原因を作ったという声も一部ではある。
大島氏の死去に、ある元大阪市幹部職員は「幹部職員には厳しくにらみを利かせていた一方で、若手職員と一緒に食事をして議論するなど、気さくな面もあった」と話している(産経新聞2010年8月9日)。
大島 靖 元大阪市長のご冥福をお祈り申し上げます。
【参考リンク】
■ 大島 靖(Wikipedia)
■ 大阪市長(Wikipedia)
■ 歴代市長・副市長(大阪市ホームページ内)
■ 過去の大阪市長選挙結果(大阪市選挙管理委員会ホームページ内)
95歳だった。
喪主は長男の春行(はるゆき)さんで、葬儀は8日(日)に近親者のみで済まされたそうだ。
自宅は非公表。
大島氏は1915年(大正4年)1月30日生まれで、和歌山県田辺市出身。
東京帝国大学法学部(現在の東京大学法学部)を卒業し、1939年(昭和14年)に内務省(1947年末に廃止)に入省。
その後、大阪府労働部長(1949年) → 在ジュネーヴ総領事(1954年) → 労働省審議官(1959年) → 労働省労働基準局長(1960年)と、あらゆる職務を経験。
1963年(昭和38年)に、当時の中馬 馨(ちゅうま かおる)大阪市長の助役(現在は副市長)として大阪市役所に入庁。
しかし1971年(昭和46年)11月8日、中馬市長が3期目在職中に病死。
それに伴って大阪市長選挙が実施されることになった。
大島氏はこの選挙に立候補。
投票は1971年12月19日(日)に行われ、全国初の日本社会党・公明党・民社党3党の相乗り選挙となり、大島氏は45万8715票を獲得。
2位の候補(橋本 敦氏の22万9959票)に2倍近くの差をつけ、自民党推薦候補を破って初当選を果たした。
1971年12月20日に第14代(公職選挙制度以降としては第4代)大阪市長に正式に就任した。
その後、3度の大阪市長選挙に出馬し、自民党からの推薦も受けるようになり3選。
5期目には出馬せず、当時助役だった西尾 正也(にしお まさや)氏(故人)を次期市長に指名した上で(大阪市では長年にわたって、まるで恒例行事のように現役市長が退任前に次期市長を指名するという後継者指名が行われていた。市長の助役として活躍していた人が次期市長に指名されるという体制だった。中之島一族と揶揄されることも。)、1987年(昭和62年)12月18日に任期満了で市長を退任した。
大島氏の市長在任期間は、1971年12月20日~1987年12月18日までの4期16年。
これは2010年現在、官選時代(大阪市長は第10代の中井 光次氏まで市民による投票ではなく、大阪市議会で選出されていた)を含めても歴代大阪市長で最長である。
大島氏の市長在任期間中はあらゆる動きがあった。
敬老優待乗車証の交付開始・区の分区による26区制・相次ぐ地下街の開業(なんばウォークなど)・大阪駅前ビルの開業・南港ポートタウン(大阪湾岸部で埋め立てによる人工島開発を進め、咲洲・夢洲・舞洲を作る)のまちびらき・大阪市立東洋陶磁美術館の開業・大阪城ホールの完成・インテックス大阪の完成・大阪市役所庁舎の建て替え(現在の庁舎が竣工)・天王寺博覧会の開催・大阪国際交流センターの開業・鶴見緑地にて国際花と緑の博覧会の誘致・地下鉄長堀鶴見緑地線の建設など。
一方で、2010年に経営破綻によって大阪府に売却された「大阪ワールドトレードセンタービルディング」(WTC)の建設推進や、多額の赤字を出しながらも咲洲・夢洲・舞洲といった人工島に多額の資金を注ぎ込んだこと、近年では高齢者の増加で大阪市財政圧迫の原因の一つとなっている敬老優待乗車証の交付、需要が思うように伸びない地下鉄長堀鶴見緑地線の建設推進など、大島氏の政策が「大阪市の負の遺産」の原因を作ったという声も一部ではある。
大島氏の死去に、ある元大阪市幹部職員は「幹部職員には厳しくにらみを利かせていた一方で、若手職員と一緒に食事をして議論するなど、気さくな面もあった」と話している(産経新聞2010年8月9日)。
大島 靖 元大阪市長のご冥福をお祈り申し上げます。
【参考リンク】
■ 大島 靖(Wikipedia)
■ 大阪市長(Wikipedia)
■ 歴代市長・副市長(大阪市ホームページ内)
■ 過去の大阪市長選挙結果(大阪市選挙管理委員会ホームページ内)
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